ニューヨーク観光 マニアックはお嫌いですか?(序章) 

こんにちは!ニューヨーク観光はお嫌いですか?

冬のニューヨークは寒くて非常に悲惨な状況ですが、しかし気候も温暖な季節になると、それはそれで快適に過ごせます。

そこで唐突ですが私の空手の師範は昭和30年代にニューヨークに渡られ、かの地で長らく空手指導をされていました。されていましたと言うのは2016年2月に突然にお亡くなりになられてしまったのです(哀)まずそんな昔のお話しからスタートです。

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宿舎と空手道場の往復、そんなニューヨーク!

その空手の師範は、当時、大山茂最高師範と呼ばれておりました。当然、我々の空手世界では十分すぎるほど有名な方です。そして私の憧れでもありました。1980年代の後半に日本国内の某空手組織が分裂し、そこのアメリカ側の組織が別の組織として独立してしまったのです。そこらの時、私の単なる一方通行の憧れであった私を、その大山茂最高師範に引き合わせてくれた方がいらしたのです。

そりゃあ私は驚きました。同時に非常に嬉しかったものです!早速、私はその時所属していた日本の空手道場から、そのアメリカで新規に立ち上げた組織に移籍をしたのです。

その時点では既に普通のサラリーマン生活を日本でしていた私ですが、年次/有休休暇や夏休み、また考えられることは何でもして(笑)私の当時の知り合いは親戚が亡くなったことにして空手のキャンプ(合宿)に参加した者もいました。そこでは親戚中のいろいろな人を死んだことにしたそうです(笑)・・そんなこんなで空手稽古に励んだものです。

当時の私のサラリーマン年次休暇は年間20日間。そこでは年次休暇を翌年も繰越すことが出来たのです。要は翌年に繰越せば合計で40日間です。同時に夏休みはこの年休とは別途で、その当時は10日間もらえました。当然、今では信じられないかもしれませんけれども・・・

ニューヨークはマンハッタン市内の安ホテル(5階建てくらいだったかなぁ?)骨董品のようなエレベータが設置してありました。しかし時々、そのエレベータは中に人間が入ったママ、各フロアの途中で急に停止してしまう、そんなエレベーターでの上下移動です(冷汗)・・・そんな古いホテルで寝起きをして道場に通いました。

当時、道場のあった場所はマンハッタンのダウンタウン地区。ワシントン・スクエアパークやニューヨーク大学の在る場所の少し南のエリアでした。近くにはリトルイタリー街もあった、そんなビルの2階に、その空手道場はありました。

何といっても、街の異質感!

時折り稽古を休んで街に繰り出すのですが、ただ、一緒に空手道場に来ている人間は揃ろいも揃って、まったく英語が話せません(苦笑)・・私だって決して英語が堪能なわけではありませんけれど。そんな拙い私の英語能力に?皆が頼ってくる状態でした(冷汗)

道場の近くにはワシントン・スクエアパークと言う小さな公園がありました。そこにはリスが普通にチョロチョロと居るのには驚いたものです。東京都内でリスが住みついているような都市公園は見たことが無かったのでビックリです。

ニューヨークの冬はとてつもなく寒い。

今頃はさぞや凍りつくような天候でしょうねえ。冗談で、まだ冷蔵庫の中の方が暖かいと言われるくらいですから。考えるにニューヨークは日本の北海道/札幌よりも緯度がもっと北ですからね。そりゃあ寒いわけです。ニューヨークはこのような真冬ではなくて、出来ましたら春や秋の季節がオススメです。

しかし後から思うと、あのリスたちは真冬の時期は、さてどうしているのだろうかとふと気になったものでした。

何でも大きいのがアメリカ。

私達はいつも普通にレストランで食べれる程のお金は持ち合わせていません。この為、外にあるデリカテッセン(食材屋)に行って何か食べれるものを探すのです。そこではコーラの缶や牛乳パックも置いてありますが、それらサイズのまあ何と大きいことでしょう!こんなのをいつも呑んでいたら、そりゃあ身体もデカくなるだろうなあと思ったものです。

さらに飲むジュース類では、原色の青色とか緑色のジュースが普通にあります。色彩から見て、私にはどう見ても飲み物には決して見えません。そんなの飲んで本当に大丈夫なのかなあ・・と不思議に思ったものです。

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